2004年7月15日 11:25
http://www.city.suzuka.mie.jp/topics/files/136.html
7月11日の参院選に関する鈴鹿市の情報提供ページです.でももう消されています.どうして消すのかなと思います.まるで証拠隠滅を急ぐかのように.
あの時に市民に提供された情報は未来に生かせないのでしょうか?私は十分生かせると思いますし,このページを作成させた経費は鈴鹿市の予算から出ているわけで,いわば市民の財産でもあります.それをなぜ消すのでしょうか?消すのにも当然人的コストがかかるわけで,どうしてこのような方向にコストをかけるのでしょうか.
なんというかこういうのを目の当たりにすると,なんというかWebの付け焼刃的な利用というのを感じます.百年の計というものを考えたことがないのでしょうか.URL(Uniform Resource Locator)というのは世界にひとつしかない情報的価値の高い財産です.URLを軽んじることにデメリットを感じないのでしょうか?ISBNは書籍につけられた世界で唯一のコードで,このコードを中心に情報が集約されていきます.しかし,ISBNを扱うようになれるためには膨大な人的コスト,時間,気の遠くなるような申請,そして実績が必要になります.それに比べてURLを扱うのにどれだけのコストがかかるでしょうか?このURLという知的インフラはまさに「百年の計」の気高さを感じます.なのに鈴鹿市の取るこの刹那的な行動は,どれほどの知的財産を無駄にする行為なのか.そのことを考えると心が痛みます.ひとつひとつのWebページは担当職員を中心とした仕事の成果物です.まさにfruitです.fruitは一時的な欲求で食べたら終わりなのでしょうか.種を残し未来のために使うというのも,あるべき姿なのではないかと思います.
鈴鹿市議会の中の会派の中に,今月サイトのリニューアルをしたところがあります.しかしよく見ると過去の情報がきれいさっぱりなくなっていました.そういう価値観に触れると,何かむなしいものがあります.鈴鹿市もサイトをリニューアルした後,公的な機関から表彰されました.しかしこれまでの情報資産はほとんどすべて抹殺されたように思います.いったいどこに表彰する価値があtったのか不思議です.でもこんな価値観は世の中に蔓延しているみたいですね.整備されたインフラの中でこそ,ポリシーのある行いが全体の価値をこつこつと高めていくと思うのですが,なんだかだらしない子どもの無駄遣いを見ている思いです.どうでしょう?
日本には世界に誇る「俳句」という発明があります.五七五の限られた言葉の空間に,言葉だけでなく雰囲気,情景,心情,音,あらゆるものが詰め込まれています.世界最高の情報圧縮というと技術的なことを感じますが,ただのテキストがテキストとしてだけの価値に収まらないものだということがわかります.
今,無残に消されていくWebページにも,俳句ほどではないかもしれませんが,同じような方向性の価値を持っています.きちんと整理して残していくことで,市民は市をよりよく知る術を与えられ,情報資産の二次利用で業務を効率化でき,経緯を知り,歴史を知り,鈴鹿へのアイデンティティを高め,官民一体となって未来のための力に変えていく.私はただの可能性を話しているだけなのでしょうか?
思い起こすのはマザー ・テレサの言葉です.正確ではないかもしれませんが...
「愛の反対は憎しみでななく、実は無関心である. 憎しみは愛に変わり得る.憎む対象にすらならない無関心こそが愛の反対である.」
関心を持つ機会さえ与えない情報の削除というのは,本当にみんなのためになることなのでしょうか?
確かに過去の記録を残すというのはある人にとっては辛い作業かもしれません.全てを無視して何かをやり直したい気持ちもわかりますし,管理をせずに用なしになったと担当者が判断するものを消していくのは気が楽なことです.でもそれでは世の中は中身のある前進が出来ない気がします.
Last Modified: December 17, 2005
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